週イチ「たまりば」No.88 “客観的”という卑しさ!?
2023.04.13
週イチたまりば

文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

 

“客観的”という卑しさ!?

 

 

Human=人間の語源は、ラテン語Humusであると、どこかで読んだことがある。ラテン語Humusの意味は、腐葉土。墜ちて、朽ちて、それでも・・・未来の訪れのために構える、備える、決心がある。自分を越えたものにつきしたがう精神に根付いた主体ある言葉が、ヒューマン=人間の語源だ。人間が腹を決めるということは、腐葉土になるような覚悟のことを言うのだ。きっと。

 

腹を決めていない人間は、いつも傍観者である。
私は、客観的に判断できるなどと卑しい不遜なことを言う。

国を動かすエリートの多くは、こういう人たちだ。国に対して、国民に対して、客観的=傍観者であろうとし続けたリーダーたちの本音だ。未来に繋がる国益を生み出し続ける腐葉土になるような政治基盤を作ることに人事を尽くしたのではなく、短期の政局を睨んで傍観者として立ち振る舞っていたからこその現状である。

「自分を客観的に見ることができる」と言ってしまうリーダーの、指導力は、たかが知れている。「あなたとは違う」と言ってしまうような腹座りの悪さは、ほんとうにがっかりだ。

 

客観的な市場データを重視して始めたビジネスがうまくいくなら、お金を持ってる企業のビジネスは、すべて成功するはずだ。賢いコンサルタントを雇えば、成功確率は、百発百中だ。でも、そうは問屋が卸さないから面白いっ。

誰がやるか。誰が責任をとるか。誰が、腹を決めるか。客観性や合理性よりも、主観や主体性の方が、事業の成否の鍵を握る。自ずから手をあげて、まわりを巻き込んでいくような「自ぢから(おのぢから)」こそ、ステータスを手に入れる必須条件である。お金を遺すは、三流。事業を遺すは、二流。ヒトを遺すは、一流。「自ぢから」が、伝承され、あちこちで芽吹くような企業や政党を営んでこそである。

 

「私は、自分のことを客観的に見ることができる」なんてことを、サラッと行ってしまうリーダーは、腐っても使えない。利他のために、ちょっとくらい無様でも、自分の足で起ち、自分の声で起たせる。

 

人間臭いとは、まさしく腐葉土の香りなのである。そういう点において、ひぐちグループは、素敵な企業体だと、マジで思っている。

 

 

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