東京から逃げてきた!!
1987年1月から1989年11月の2年と10ヶ月だけ東京に住んでいた。東武東上線の上板橋から麹町まで地下鉄で通っていた。びっくりするくらい痩せていた。流行りのスーツも着ていた。当時のディスコになんかも行ったりしていた。
池袋から有楽町線に入ると窓の外は真っ暗。その当時は、スマホもあるわけないから、車窓に写る自分の顔を眺めているしかなかった。ひとことも声を交わすことなく。
アパートに帰るのは、いつも夜中の11時をまわっていた。24時間働けますか!? 働き方改革など誰も叫んではいない時代。体力だけでなんとか乗り切っていた。遊びに行く時間もなかった。
だから、東京の街のことをほとんど知らない。
ましてや、関東なんていったらさっぱりだ。
悪いが・・・ワタシは、関東地方LOVEでもなんでもない。。
営業職というポジションにも悩んでいた。もっと自分にはできることがあると足掻いていた。上司の部長さんとは、よく喧嘩もした。問題発言も多くて、扱いにくい若手だった。いま思うと、若気の至りである。
人生をリセットしたいと思っていた。
そこに福岡転勤の話を企画の師匠からもらった。
のるしかなかった。
東京から逃げた。
あれから32年である。
実質的な仕事は、完全にリセットされている。
でもしかし、転勤の決意を外部のスタッフの方々に伝えたときに一様におっしゃってくれたことが、いまも心の支えになっている。
「中村さんなら何処へ行っても大丈夫よ」
おかげさまで、なんとかなって来た。
大丈夫だよと反対に伝えることもできるようになった。
人間関係は、リセットできない。
積もるものだ。土壌だ。
歌舞伎町で遊んだことより、外部のスタッフの皆さんがそろって転勤祝いをしてくださった新富町の夜を思い出す。人前で、声を出して泣いたのは、あの東京の夜が最後だ。
文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。