偶然は、なにしろ美しい。
坂本龍馬の直筆の手紙は、現存するもので160通あるという。その手紙の文面でいちばん良く使われている言葉を調べたら「はからずも」であったらしい。「思いがけず」を意味する言葉で、たまたまの出会いや出来事に恵まれそれを活かして己の道を切り開いた龍馬らしい言葉である。
「はからずも≒図らずも」である。計画したわけでなく、別段意図したわけでもなく、さまざまな出会いや出来事が、坂本龍馬の身の上には起こったのである。いまで言う「引き寄せ」ちゅうやつである。
「思考は現実化する」みたいことを教える引き寄せの法則系の書籍やセミナーが山ほどある。全部が胡散臭いっ。正直なところ、どこかで馬鹿じゃなかろうかと思っている・・・。もうその時点で「図っている」ではないか。そんなもん学問や法則と称した時点で、糞みたいなものである。
きっと維新の志士たちの「志」は、図ったものではない。本当に思い込めばその通りになるみたいな、薄っぺらな法則にのっとって動いていたわけではない。引き寄せるぞぉって思考の前に生まれる人脈は、きっとロクでもないものなので気をつけた方がいい。
偶然は、なにしろ美しい。
だから「この出会いって奇跡ね」なんて誤るのである。
引き寄せなんて言ってる奴の口車に乗ってはいけない。
思い通りにはならないが、やった通りにはなる。いまある姿は、なるようになった姿であって、なるようにしかならなかったわけである。
もっと勉強しておけば良かったという反省も、あのときにあんな奴を信じちゃったからという恨みも、今となっては、あんまり意味がない。意味がないというより、どうしようもない。なるようにしかならなかった原因は、すべて自分にある。それが自らの分である。
はからずも、偶然は、やった通りになる原理の上に生まれてくる必然であって、運がいいとか悪いとか、そんなものも、なるようになった帰結である。
なるようにしかならない!、、であるなら、失敗をいつまでも悔やむのではなく、なるようになると信じて、またバカなことに手を染めるのである。どこまで行っても、いまある自分は、必然のよってきたる結果でしかない。
はからずとも、ワタシは、そう思う・・・。
文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。