謹之助の語り部 episode8
2021.07.30
謹之助の語り部

HIGUCHI GROUP創業者、樋口謹之助の言葉や逸話を、時代を越えて様々な社員が独自の視点で解説する企画「謹之助の語り部」の第8弾です。今回は、50年以上前に林業事業を始めた際のそこに込められた創業者の想いと、当時考えられていた日本の林業・ひぐちの林業の未来についての解説です。それではどうぞ。

 

林業事業への取り組み

 

今回の語り部 : 真樹フォレスト株式会社 / 佐賀里 政則

ひぐちグループ創業者、謹之助前会長が始められた林業事業について、その始まりと想いをお伝えします。私達の林業事業は、植林を開始してから50年以上が経過しました。
ひぐちグループ社員の皆さんは、春に行われる社内行事の植樹祭を通じて、ひぐちの山林に足を踏み入れた事がある方が多いと思います。西彼杵半島を中心にして昭和40年代初頭に、雑木林や牧場の跡地を購入し、ヒノキの植林を開始しました。当時は現在のように、山の中まで道路が整備されてなく、苗を束ねて担いで登り、苗の植え付けをしていたことを思い出します。

 

 

当時ひぐちグループが林業事業に取り組んだ背景は、2つあります。

一つは会社として様々な事業で得た利益を、自然に還元し社会に貢献する事。
そしてもう一つは、日本の林業事業に可能性を見出していた事です。

昭和40年代初頭は戦後の高度経済成長期であり、日本中で住宅の建設ラッシュがはじまり国産木材需要が右肩上がりの状態が続いておりました。そういった社会情勢の中、林業の常識を覆す発想で事業に取り組まれたと聞いております。

通常の林業は木を植えて伐採迄に40年~50年の長い期間が必要です。その期間を半分(25年)にして木材を生産し販売することが出来れば魅力的な事業に必ずなるという発想で事業を始めました。企業家としてイノベーションにチャレンジして“新しい林業”を実現したいと考えられていたのでしょう。私達もそのことを実現しようと、少しでも成長を促進するために山林に肥料を運び、施肥作業を取り入れるなど育林方法の変更を試みました。しかしながら力及ばず、樹木の成長スピードは自然の摂理の中でどうしても早めることはできませんでした。

当時の作業体制は各事業地の地元(三重、外海、西彼、大瀬戸)に作業班を組織しており、年1回山林の状況を確認するために、前会長自ら参加される山林巡視を実行しておりました。山林巡視の際は必ず地元の作業班長さんの自宅に宿泊させていただき、各作業班の皆さんと会食して、山林作業に従事しておられる人達と膝をつき合わせて“ひぐちの林業、日本の林業”の未来について語っておられました。今でいうビジョンです。

林業の未来をこう考えている、皆さんはその為に今こういうことをやっている、という事を丁寧にお話しされておられました。相手の方々はひぐちグループの社員ではなく、農業と林業を兼業しながら林業現場で働いておられる方々でしたが、共に日本の林業の未来を切り開いて行く仲間として接しておられました。その姿は正に目指すべき目標に向かって思いを伝える伝道師のような姿でした。

 

私達が創業者の想いを受け取るとすれば、

<事業を考えるときの社会や地域に役立ち貢献しようとする想い>

<常識や固定観念にとらわれず、一歩離れて俯瞰し、柔軟な発想でチャンスを見出し、失敗を恐れず果敢に挑戦する行動力>

<同じ目的に向かって進む仲間に対し、未来の姿や思いを伝え、話を聞き、共有し課題に取り組んでいく姿勢>

ではないかと思います。

 

時代は常に変化し、私達を取り巻く状況も激変しています。そしてこれからも変化し続けていきますが、HIGUCHI GROUPが今後も成長していく為に、謹之助前会長の姿勢や想いを私達が学び実践していかなければならないと思います。

最後になりますが、山を歩く姿はひぐちグループの創業者という感じではなく、どこかの農家のおじちゃんというような雰囲気でおられたことを懐かしく感じます。

 

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