週イチ「たまりば」No.23 テレビなんてラ・ラ・ラ・・・。
2021.07.28
週イチたまりば

 

 

テレビなんてラ・ラ・ラ・・・。

広告を提案したり、広告をつくる側に席を置いて30年以上になる。1980年代に始まったコピーライターブームに乗っかってここまで来ている。働き始めた頃のマス広告の影響は、凄かった。全広告費の80%以上をマス4媒体が占めていた。それが、いまや40%そこそこまで落ち込んでいる。

テレビ広告は、未だに「視聴率換算」で費用をはじき出す。視聴率が高いほど、たくさんの人が視ているから広告費は高いですよというわけだ。視聴率をたくさん獲得すると広告費がいっぱい貰えるから放送局は潤う。こんなことが、未だに続いているのがテレビの営業の現場なのである。

視聴率が10%~20%で天下獲ったみたいな競争って、ホントにどうなのよ?って、近頃、富みに考える。テレビ広告を視聴率換算で試算する媒体計画って、そもそもどうなのよ?って、思う。

どんな高視聴率番組も視聴率50%を越えなければ、視ている側は、少数派なのである。と、いうことは・・・視聴率を発表する度に、視てもいない多数派は、そんなもん見ていないと思う。よかれと思ってやっているテレビの視聴率競争は、逆に、そうじゃないんだよねぇぇぇと言う多数派を、常に炙り出し、不満を抱えさせることになる。多数派に、見えない喧嘩を売っているようなものである。

テレビは、マス媒体であるのに、本来、多数派に対してのメディアであるのに、その本分を忘れて少数派のために競争している。この矛盾こそ、視聴率競争の本質的な欠陥である。視聴率競争を通じて「いわゆるサイレントマジョリティ」を敵に回している。

常に少数派にまわる視聴者自身も、その視聴率の数字なんて、あまり関係ない。中身さえあれば視る。その結果としての視聴率であるわけで、視聴率を上げるために、テレビを視ている人などいない。

内閣の支持率が20%を割れば解散かぁぁぁと迫るマスコミが、自分たちの作る番組が20%の支持を受ければ大喜びをする。それって、やっぱりおかくしないか?

内閣の支持率20%以下を、国民の意見として報じるなら・・・そのテレビ番組を視ていない8割以上の世帯があることが国民の意見であると捉えるべきだ。テレビが自ら、視聴率を公表することにより、その首を絞めていった。テレビ局と広告代理店と広告主だけの間に流通する指標であれば良かったのに、番組自体の優劣を決める指標=出世の指標にしたことが諸悪の根源だ。

広告に携わるほどに「視聴率20%で天下獲った顔をされちゃたまらんな」の思いを強くする。視聴率20%が天下を獲ったと言うことはイコール「80%の多数派に足元を掬われる」ということであることも忘れてはならない。

お恥ずかしながら・・・こんなことを考えているワタシは、テレビタレントでもあった。福岡の地方局で1年間に渡り、深夜番組のMCの一端を担ったこともある。3年間に渡りJA福岡の30分番組の構成作家をしていた時期もある。

現場で戦ってみようかと挑んではみたものの、結局、お金を出す人たちの意見を聞かざるをえない。また、そこを覆すほどのタレント=才能もなかった。最終回に、街の中を全力疾走をして果てた。走っているつもりなのに、一向にまわりの景色が走らなかった。

 

テレビなんてラ・ラ・ラ・・・である。

 

文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

http://nakamurasyuji.com/

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