謹之助の語り部 episode14
2022.02.01
謹之助の語り部

HIGUCHI GROUP創業者、樋口謹之助の言葉や逸話を、時代を越えて様々な社員が独自の視点で解説する企画「謹之助の語り部」の第14弾です。それではどうぞ。

 

挑戦・innovation・technologyの再構築

 

今回の語り部 : 取締役  / 山口一夫

今回は1997年2月、今から25年前に発表された樋口謹之助元会長のレポートを紹介したいと思います。まずは1997年頃のひぐちグループの時代背景です。

1997年当時のひぐちグループは、1995年に結んだFC契約により、飲食事業FC店舗「ジョイフル」の出店が加速している時期で、ジョイフル島原店、針尾店、戸町店が開業した年でした。また遊INGおいても1994年に浜線店、1995年に花丘店が開業し店舗展開に勢いが出始めていた時代です。

一方パチンコにおいては、ある新聞のパチンコ依存記事を発端に、社会的パチンコ叩きが起こり、1996年暮れ、業界では今後の存亡の危機を感じ、1997年から四段階に分けて旧要件機の自主撤去を実施する事を宣言。1997年1月から、5月、9月、年が明けた1998年1月と連続的に敢行し、その時代の主力であったいわゆる「社会不適合機」の全てを撤去することになっていました。

我社においても、「パールセブン」以来の主力商品であった「フルーツパンチ」をその時点で外さざるを得ない結果になりました。

「綱取物語」「エキサイト」「ダイナマイト」「フィーバーパワフル」「春一番」等々の、一時代を担った名機種達がこの時点で全て外されることになります。

 

ここからCR機の導入、新台の高速回転と、業界の歯車はギャンブル性だけに特化した提供商品へと舵を切り、皮肉にも高い射幸性が問題視され、撤去を余儀なくされた社会不適合機以上の射幸性を持つ、CR機全盛の時代に突入していきました。

出店場所も住宅地の郊外化と共に、これまでの「駅前・駐車場なし・小型店舗」から、「郊外・駐車場付き・大型店舗」へと、パチンコ店舗の在り方が変わり始めた頃でした。

つまり、パチンコにとっては、商品、営業政策、ファシリティ及び立地と、これまでとは大きく変わったお客様の価値の変化への対応を、考え始めなければいけない転換期に突入し始めた頃でした。

 

しかしまるみつは、このお客様の価値の変化に気付き対応するまで、実に7年もの月日を費やし、2004年にようやく「まるみつ畝刈店」の新規出店にたどり着いています。

今回紹介するレポートが会長から発表された1997年から、畝刈店のオープンまでの7年間に、我社は時間軸での社会の変化・技術の変化と、空間軸での価値観の変化に気づけず、かつて築き上げた「お客様からの信頼」という資産を、無限のものと勘違いしたかのような営業を続けた結果、7店舗もの店を閉店しなくてはいけないという、屈辱的な結果を招いてしまいました。

以上の結果をもたらすスタートともいうべき時期である、1997年2月に謹之助元会長は次のようなレポートを当時の管理職全員及び本部スタッフ社員全員に贈っています。

 

①企業はリスクを背負っていること

世の中は一所に静止してはいない。社会は常に変化し続けて、進化している。これを仏教では「無常スパイラル」という。この変化に対し、innovation(=変革)し続けなればならない宿命を、企業は背負っている。この変化にはリスクを伴っているということを認識する必要がある。

時間軸での社会の変化、技術の変化での盛衰、空間軸での価値観の変化での盛衰が物語っているように、innovationできなかった国家も、都市も、企業も、集団も、個人も衰退していったことは歴史が物語っている。

企業はリスクを背負っておかねばならないということである。リスクがゼロの組織は企業ではない。経営者の多くは、いかに企業経営の際のリスクを少なくするかということに日夜心血を注いでいる。

しかし、企業の成長・存続・健康の3要素から見ると、まったく錯覚である。企業がリスクを背負っていることは、重要であると考えられる。この動乱の時代は、特にそうである。企業はもちろん、国でも、個人でもリスクを背負っていることは、その成長には必ずしも不利でないということである。リスクを背負っていない企業は、どのように大きな企業でもきわめて危ない。その典型がinnovationを忘れた旧国鉄、旧ソ連、足利幕府、徳川幕府と、歴史上枚挙にいとまがないほどである。

リスクを嘆くことはない。自分の会社には人材がいない。金がない。工場が古い。学歴がない。顔立ちが悪い。と泣き言を言い、嘆く人がいるが、一代で大会社を作り、名経営者といわれる人々は皆、ないないづくしの中から成長させている。すべての条件が整っていて、事業を興した人は皆無に近い。みんなリスクだらけで創業し、企業を大きくしたと言える。また、個人の場合でも、五体満足な人だけが幸せな人生を送るというものでもない。ないものを嘆くより、現在企業にあるもので何ができるかと考えると、今まで見失っていたものがとても価値あるものであることがわかる。Innovationに挑戦的な組織スタイルを持った集団が成長し、生き残る時代、個人の創造性を支援する企業が成長する時代へと、21世紀への動乱の時代の幕開けとなった。

日本中、世界のどこを見ても、その人間が営むものである以上、企業にしても、国にしても、個人にしても、リスクを背負い、ハンデを背負い、innovationへ挑戦している方が成長しており、リスクやハンデやinnovationを避けていると、停滞か衰退の道をたどるというのが現実である。リスクがあるからこそ、ハンデがあるからこそinnovationというmissionがあるからこそ、創造性が発揮され、21世紀への、未来へのエネルギーが生まれる。

このリスク―再建―innovationを背負ってこそ、企業であることを経営幹部は絶対忘れてはならない。

1997年2月会長講和レポートより抜粋

 

以上、長くなるのでここで止めますが、25年後の今改めて読み返しても納得感を強く得るのは、今も1997年当時と同じ「無常のスパイラル」にあるという事なのか?

確かに、コロナ禍前からコロナ禍の期間、そしてやがて来るコロナの収束は、時間軸での社会の変化、技術の変化と、空間軸での価値観の変化をもたらしていると言えます。加えてもう一つ言えることがあるとすれば、我々が25年前から創造的に進化できずにいるから、このレポートが教えることに納得しているのかもしれません。

 

奇しくも、現在のパチンコ業界は、1997年当時のCR機登場と同じく、管理遊技機登場の時期を迎えています。当時の我々には、知識も経験知も情報収集力も不足し、他にこれといった武器もない中、このレポートを読んでも、危機感を抱き、自主的意思決定ができる社員は皆無でした。

それでも、当時の経営陣からの強い要求で設計された、「まるみつ畝刈店」を皮切りに、その後作られた新型店舗で、何とか業界に残ることができました。

では、今の我々はどうか?今は、知識も情報収集力もある。過去の競争に負けた経験知も学びとして得た。そして何より、創造力ツールとなる「FAの技法」と、組織と個人の相互理解を強くする「人間力の思考」を手に入れようとしています。つまり当時とは、社員の自主的意思決定力が大きく違います。

各人が尻込みせず、担えるリスクは積極的に取りに行きチャレンジする。創業者樋口謹之助イズムを復活させる良き機会にする必要があります。謹之助元会長は、レポートの最後をこのような内容で結んでいます。

 

「我々ひぐち企業も、自立・生き残り・再建という段階で、商品化という価値の創造に向かって挑戦・innovation・technologyを再構築することが21世紀でも生存できるということになる」

 

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