謹之助の語り部 episode15
2022.03.11
謹之助の語り部

HIGUCHI GROUP創業者、樋口謹之助の言葉や逸話を、時代を越えて様々な社員が独自の視点で解説する企画「謹之助の語り部」の第15弾です。それではどうぞ。

 

お客様の立場に立つ

 

今回の語り部 : 取締役  / 吉村 正彦

私は10年前に入社したので、創業者の樋口謹之助さんと直接お会いした事はなく、本社社長室に掲げてある、鉛筆を手に何かを語りかけているような穏やかな写真(本コラムの看板にも使われています)しか存じません。しかしながら、『産業文化史 ひぐちグループ企業グループ 大衆に憩いと安らぎを』に描かれている数々の創業者に関するエピソードは、あまりにも多くの教訓を私たちに語ってくれるのです。読み返すたびに新たな発見をしているのですが、今日はその中から「梅干し」の教えに共感してもらえたら嬉しいです。

 

それはまだ、1950年にひぐちグループがもやし製造の会社として産声を上げる前の話です。当時の長崎の街は1945年8月の原爆で惨憺たる焦土と化していました。言うまでもありませんが元来長崎は世界に開いた日本唯一の窓として、長年にわたって日本一トレンディな街であり、特に明治以降は国の基幹産業が栄えた街であり、終戦によるギャップは想像を超えるものであったことだと思います。

 

若き日の謹之助さんは、当時10人近い大家族を養うために、さしあたって生まれ故郷の矢上村で買い込んだ農産物や海産物をリヤカーで運び、長崎市内で売って生計を立てていました。いわゆるヤミ屋をやっていましたが、それで満足していたわけではありません。憔悴しきっていた長崎市民に憩いと安らぎを与える新しい事業を興して、かつての活気ある街を復活させるという大志を抱いていました。大衆生活の荒廃を憤り、郷土に誇りを持った意欲的な22才の青年でした。

 

さて、新しい事業を始めるためには元手となるまとまった資金が必要です。そのために必要となるのは情報です。謹之助さんは毎日長崎市内を飛び回って様々な分野の人たちと会って話を聞いていました。情報については恐ろしく貪欲だったと同時に慎重な一面もありました。これはと思う情報にぶつかってもすぐには飛びつかず、別の方面から情報の確認を行った上で初めて腰を上げるという慎重さを持っていました。一見すると猪突猛進型、しかし実際には調査行動型でした。

 

そのような中、例によって情報を取るために市中を飛び回っているところに、耳寄りな話が飛び込んできました。矢上の農協倉庫に眠っている大量の梅干しを東京へ売ってくれないかという依頼です。東京だと梅干しは長崎の3倍の値段で売れるとのことです。新事業への元手を作るために早速この話に乗り、ヤミ屋で稼いだ有り金をはたいて貨車2両分の梅干しの樽を買い付け、東京の市場に送りました。しかし梅干しは全く売れませんでした。

 

その原因は、梅干しの違いにありました。当時の東京の梅干しは、なんと乾燥したものだったのです。一方長崎の梅干しは、現在私たちが普通に見ているような汁につけこんだ梅干しだったのです。

 

東京で売れる梅干しは、長崎の梅干しと同じものだと言う思い込みが失敗の原因でした。創業者ですら若いころには、「お客様の視点に立つ」という基本を忘れてしまったことがあったのです。外国人というならいざ知らず、同じ日本人であっても地域によってお客様の求める価値は違う可能性があるのです。

 

本当に正しいのはお客様が直接行動として示したことです。店舗で発せられた一言やアンケートに書いて頂いたことです。これらは事実であり誰も否定する事はできません。正解はお客様に聞くしかありません。

 

私たちには「お客様はこう望んでいるだろう」という勘違いがたくさんあるはずです。「お客様はきっとこれだろう」と考えること自体それは自分が考えていることなのです。しかも自分に都合の良いように想像しがちです。「お客様のために」と考えるときは、自分の過去の経験をもとに、「お客様とはこういうものだ」、「こうあるべきだ」と思い込みや決めつけが入りがちです。しかし「お客様の立場で」考えれば、自分の経験は否定しなければならないこともあるのです。

 

謹之助さんですら、若い頃にはこのような大失敗をしています。しかしその失敗はその後の事業への教訓として大いに活かされました。むしろ、「お客様の立場で」考えることをここで学んだからこそ、後に大きく成長できたのだと思います。

 

また、いつもの調査行動派の謹之助さんであればこんなうかつなことはしなかったはずです。しかしその時は、一日も早くヤミ屋を卒業したいという焦りと、大きな利益が得られるという気負いがあったのです。そのことが通常の慎重な思考を阻害してしまったのです。

 

気負いと焦りは冷静な判断を狂わせます。良いアイディアが出たと思うと、つい熱くなってしまいがちですが、その時はすぐに行動すべきではありません。冷静になってもなお良い考えだと判断できる時に初めてやってみるべきではないでしょうか。このことも学ばせていただきました。

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