「あの雲」みたいな短編小説 「捨てるに捨てられない。」
2021.02.25
「あの雲」みたいな短編小説

 

「冷凍庫の保冷剤みたいな女になっちゃダメ!!」

3人だけの女子会は、ホカホカのからあげにも手をつけずヒートアップしていた。
2020年のクリスマスイブの夜。割烹ひぐちのお客様は疎らだった。

「ただキープされているだけよ、それは!?」
「きっと忘れられてるよ、アイツに!?」

クリスマスイブの夜の女子会の話題は、大抵、恋の話である。
いや恋の話というより、どうしようもない男と女の話である。

「都合がいいだけの女だよ、それって」
「それも、プニュプニュしたちょうどいいサイズのね」

長崎は、坂ばかりである。坂本龍馬が長崎で結成した貿易結社「亀山社中」の跡地も、幾重もの石段まじりの坂を登りきった高台にある。風情ある寺町までの約2kmの坂道を幕末の志士たちは、一気に駆け降りた。その坂は、いま、「龍馬通り」と名づけられている。

「ここの珈琲は、美味しいので有名なんですよ」
60代であろうマスターが注文を取りに来たタイミングで、優子が囁いた。
「もう40年以上、ここでやっているからね!?」
嬉しそうに喫茶店「おもひで坂」のマスターが話し始めた。焙煎の研究を毎日していること。カップのデザインは自分でしたこと。白衣を着た店員が居るのは、長崎初だったこと。もう、延々と・・・。

「いちばん深煎りのやつがいいんですが!?」
自慢話を遮るように優子は、注文をした。
「それならイタリアンローストを頼んでみてよ」
「じゃあそれふたつで!!」
男は、ぶっきらぼうに注文した。

「うるさいですね!!」
「そうですね!?」
深煎りの珈琲が出てくるまでの束の間が2人だけの時間になった。マッチングアプリで知り合ったその男との初デートの待ち合わせだった。なぜ彼氏がいないのか!?彼女ができないのか!?たわいないことを話した。気持ちの通わない会話は、そう続かない。沈黙が流れた。その頃合いを見計らったようにおしゃべりなマスターが割って入った。

「イタリアンローストを注文したなら、このレアチーズケーキも食べてみてよ。1日30個だけしか出せない手作りだから」
「じゃあそれをひとつ!!」紋切り口調で、男が答えた。
珈琲とともに、優子と2人の間にレアチーズケーキが1個置かれた。フォークは2本。
「一緒に食べましょう」
「はい」
優子が、チーズケーキのトンがった方にフォークを入れた。
男は、チーズケーキの反対側の弧の方にフォークを入れた。
その間も、マスターは、カウンターの中から、延々とチーズケーキの作り方を教えてくれていた。
「最後のひとくちは譲りますよ」と優子が笑うと・・・
「はい」と男は、ペロリと最後のひとくちを食べた。

坂本龍馬の直筆の手紙は、現存するもので160通あるという。その手紙の文面でいちぱん良く使われている言葉を調べたら「はからずも」であったらしい。「思いがけず」を意味する言葉で、たまたまの出会いや出来事に恵まれそれを活かして己の道を切り開いた龍馬らしい言葉である。

はからずも、おもひで坂で都合の良い恋は、はじまった。
はからずも、石畳みの坂の途中は、雨で濡れ出した。

2050年のクリスマスイブの夜。優子は、「大衆割烹樋口2050」で開催される定例の女子会へと向かった。30年前に、冷凍庫の保冷剤みたいな女になっちゃダメととアドバイスされていた女性は、既に55歳。長崎市役所があった脇にある思い出の坂をのぼるだけでも息が切れた。

女子会のメンバーは、30年変わらない。大きく変わったのは、飲食業界の方だ。流行りの安価なバーチャル系レストランばかりが世間を賑わせている。「大衆割烹樋口2050」は、いまや貴重な世界に轟くリアルレストランブランド。あつあつのから揚げの味もあのときのままだ。

「冷凍庫の保冷剤みたいな旦那は元気!?」
「いま宇宙研修に行っているのよ。」
「あの話題の宇宙エレベーターで!?」

「亭主宇宙で留守がいい!!笑」
3人だけの定例の女子会は、今年もヒートアップしていた。50歳を越えた女子会の話題は、大抵、捨てるに捨てられない旦那の愚痴である。
「宇宙研修って、すごい会社にお勤めね!?」
「あの、おもいで坂の男と別れて正解だったでしょ!?」
「でもさぁ、冷凍庫の保冷剤なんて、もう誰も知らないわよ?」
「保冷剤って!?若い子にそんなこと言っても通じないよね!?」
もはや冷凍することが保存する技術ではなくなった。凍らせない食品保存が当たり前の時代に、保冷剤はお役御免となっている。

「捨てるに捨てられないのは、あのチーズケーキの味だけかなぁ!?」
どうしようもない恋の思い出だけは冷凍保存がきいている。
2050年も、豊かなメリークリスマスである。

 

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文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

http://nakamurasyuji.com/

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