文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
冴えない時間にこそ!?
還暦を過ぎたあたりから故郷の同窓生から、高校生の時の思い出の画像が、届くようになった。もう目も当てられないくらい恥ずかしいシロモノ。ワタシは、間違いなくこの”冴えない時間”があってこそ、今があると思っている。キレイごとを言う自分に騙されないという自負は、この時間があったからこそである。
人生の時間のおおむねは冴えない。ドキドキしている束の間なんて、ボッーとしている時間に比べたら、すげぇ短い。どんな人も、輝いている時間は、アッという間である。どんな成功者も、うんこをする。2度寝する。かゆいところはかゆくなる。蚊に刺されたら、爪で十字のバッテンをつけたりする。人生の大半は、一人ぼっちで、冴えない時間を過ごしているものである。
だからね、輝かしい部分だけに惑わされたらダメだと思うわけである。輝かしい部分だけを聞いて憧れて、飲みの時間を共有しても、それは、ただの知り合いである。何もわかっていないに等しい。みんなでいるときの、みんなのなかのひとりの自分は、自分であるけれど、ホントの自分ではない。その事実は、みんなに等しい。
死ぬときは、きっと阿鼻叫喚である。本に書いてあるようなかっこいい台詞など吐けるわけがないのである。成功者から何かを聞き出すなら、冴えない時間の過ごし方である。成功談よりも、冴えない談である。圧倒的に長い冴えない時間の過ごし方に、少しの違いを見出させてこその学びである。
冴える話を聞いて、冴える必要なんてないのである。冴えない時間を一緒に過ごして、信用できる仲間を増やす方が、いずれやってくるはずであろう冴える時間のためには、大事なのである。