文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
ワタシは、承認欲求の塊です。
ワタシは、Facebookおじさんで名を馳せています。友達も合わせたら1.2万人を超えるフォロワーを抱えています。毎日ように2投稿を続けて13年以上の月日が経ちました。
ですから「わー、中村さん凄いな」と言われてもいるし、妬みや嫉みも受けているに違いありません。他者のコンディションなんて気にしていません。やりたいようにやっています。
そうです。
ワタシは、
承認欲求の塊です。
人間なんちゅうものは、オギャーと生まれたその日から、承認欲求があってこそ生きていくことができるのですよ。人が“人間”である意味は、承認欲求があってこそです。ですので、SNS上の恥ずかしいほどのリア充投稿など“なんとまぁ人間らしい”と笑い飛ばしておりますし、裏返すと、ワタシがそのように見られていることも覚悟の上で、チャラチャラと“いいね”をいただきに行っています。
裏側から見てみると、SNSの他者の投稿に、一喜一憂するということは、あなたもまた承認欲求に囚われている証拠です。コンディショニングとかそんなものは言いわけです。自我に雁字搦めになっているだけのことです。
承認欲求を満たさなきゃ精神を維持できない人様は、生まれた時から、そんなに美しいものじゃないです。どうやったって妬み拗みが湧きあがってしまうクソみたいな生物です。
ワタシなど、ナンボのもんじゃい!?
嫌な野郎ですよ。
承認欲求にまみれたただのクソ野郎です。
その底辺の底辺から、
ずっと斜め上の方を眺めています。
そのまなざしだけがワタシ自身だと信じています。
SNS上で宣われている”言論の自由”なんてものは雑踏みたいなものです。そもそも美しいものじゃない。平和も、平等も、その雑踏の中から見出すものですよ。自分のクソ加減も、自分のプライドもね。
2024年も、もう終盤に差し掛かりました。戦争でSNSが意図的に活用されるのであるなら、平和という雑踏の方が力を持ち、経済が発展することを世界に実証することの方が、人類として大事なことだと思います。
2025年は、
“てめぇは、ナンボのもんじゃい!?”と思える1年にしましょう。
そう思えば、見るもの、聞くもの、全部オモロいことですよ。