週イチ「たまりば」No.164 2025年も、正しい大人にはなれない。
2025.01.09
週イチたまりば

 

文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

 

2025年も、正しい大人にはなれない。

 

“赤毛のアンの作者であるルーシー・モード・モンゴメリが新聞記者から「今時の若者についてどう思います?」と聞かれて「全く、愚かで軽薄で無教養だと思いますわ。私達がかつてそうだったようにね」と答えた、というエピソードが好き。”

子どもを持つことによって、親は、自分が子どもであったときのことを思い出す。自分自身の再確認を、子育てを通じて繰り返すことによって、良い親になっていく。良い大人になっていく。

子どもの時の恥ずかしかったことや、悲しかったことや、親との確執を思い出しながら、子ども達との距離を保つこと。それが、親の役割であり、子どもの役割であり、幸せなのだ。大人である「親」の役割を全うすることが、良い大人ではないと言うわけだ。

これは「親」を「上司」に書き換えて考えてみても同じではないだろうか。上司=リーダーになったおかげで、現場や部下との距離がうんと近づく。見えてくる。そういう感覚が、良い大人、良いリーダーには必要ではないかと思う。

大人になったら。リーダーになったら。政治家になったら。首相になったら。確固たる大人とは何かを、みんなが考える。意見がブレてはいけない。アイデンティティーは、ひとつでなくてはいけない。凝り固まった「大人像」「リーダー像」を全うしようとする。それが、そもそも、家族としての、組織としての、不幸せを招いている気がする。

良き大人とは、何歳にでもなれる。良きリーダーとは、どんな役職にもなれる。大人になるとは「私という1人」になることではなく、「いくつもの私」を束ねられるヒトになる体験をしていくことではないだろうかと思う。

ワタシは、まだ正しい大人ではない!!
幾重にも重なったワタシなので、めっちゃブレる。
2025年の一発目から、当たり前のようにブレている。
でもね、幸せへの中身ある議論は、
そんなブレる自分を感じていることから始まるのではないかとも思う。

 

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