文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
もう全てが“うろ覚え”なのである。
ご覧の通り・・・ワタシのデスクは、とっ散らかっている。パソコンのデスクトップのフォルダも酷いものである。To Doリストは、いまだに付箋。
今夜の予定がスマホのスケジュールアプリを見ないと思い出せない。昨夜食べたものの詳細が、最早言えない。誰に何の話をしたかが、もうわからない。今日が何曜日であるということも、うろ覚え。
だいたいが、もう、うろ覚え。
うろたえることもなく、うろ覚えを愉しんでいる。
あの資料は、きっと、あそこらへんにあるはずである。その場所も、うろ覚えである。悪かったな!?速攻でお目当の資料が出てくるなんて思うなよっ!!
本の隅から隅までを覚えていることなんてない。仕事に使えるのは、ほんの少しの断片である。嫁さんとの記憶なんて、昨日のことまで怪しくなっている。娘たちの笑顔なんて幼稚園の時のままである。
たくさんの断片だけが残っている。積み重なっている。きっと、その山積みになった断片が、その人そのものなのだろうと思う。何をうろ覚えしているかが、その人の背景になるのである。
歳をとると、その断片の記憶すら、さらに曖昧になっている。そろそろ整理でもしておかないとなかったことになる。たくさんの断片を整理したとて、たいした価値もないことに気づくのも大事なことである。くだらないいっぱいの断片が、よくこれだけ揃ったものである。
うろ覚えの中で仕事して、
うろ覚えを積み重ねたまま死んでいく。
お気に入りなどスグに取り出せないワタシの机が愛おしい。