文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
届く声にあって、大きな声にないもの。
政治家の何が信用できないかって!?声がデカイところである。選挙のときだけ、いっそうデカくなるから、なおさらである。こんな選抜選挙を、いつまで続けるのか!?
大音量で突っ走るイタ車から流れてくる音楽にセンスあるものはない。大抵が、ヤケにガタイの良い男性が踊る集団のそれか、化粧の濃い女性シンガーのあれである。
店員さんの声がやたらとデカイ居酒屋が、美味いわけがない。感謝がいちいちおおげさである。そんな居酒屋のトイレに限って、例のアレが飾ってある。人間だもの、そうだものね!?
届く声と、届かない声がある。
叫ぶ声は、大抵、届かない。
なぜなら、
正義が、叫ぶ側にあるからだ。
正義じゃない方を除外したいと思っているからだ。
ワタシは、出して貰ったお茶をとる手がプルプルと震える。話したいと思っていたことが緊張で真っ白になる。泣きそうになるようなしっちゃかめっちゃかのプレゼンを何度も繰り返していまがある。
いまじゃ会議に出席したらシメのコトバ。結婚式では、乾杯の挨拶。還暦近くにもなるとそういう機会をたくさんいただく。まだ少しだけ声がプルプルはするが、頭が真っ白になるようなことはない。
どんな偉い人でも。どんな偉そうな人でも。どんな役職の人でも。男であっても、女であっても、年の差はあっても、人間である。誰かを怖がり、誰かを愛し、何かを失って、いまがある。ウンコもするし、ゲロもする。終末には、断末魔の声を上げたりするのである。
ワタシは、いつまで経っても正しくはない。
何も知らないし、わかってもいない。
わかったようなフリをしているだけである。
まわりは自分より立派な人ばかりである。
怖いものなどないといきがるから声がうわずるのである。何も失いたくないと欲張るから早口になるのである。結局、人間力に差が生まれるとしたら、失敗を続けてもなお、何を信用し続けているかの差なのである。
話せばわかると思ってないし、わかった!!という回答のわかってなさとか、言えば変わることなんて、そんなんやったら、もう変わっているだろう!?とかと考えているのは、確かだ。
届く声には、抑制がある。
人を動かす言葉は、大抵、自己否定の胚珠を持つ。
歴史に遺る声は、大抵、抑制が効いている。
大きな声が大勢を占める社会は、気持ちが悪い。
絶対に、なんと言われても、クソである。
これだけは、声を大にして伝えたい!!