文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
“測れない”チカラ。
阿弥陀の「弥陀(ミダ)は、測るという意味」。阿弥陀の「阿(ア)は、反意を表す接頭語」。なので、阿弥陀は、「測れない」「わからない」を意味している。と、いうことは、浄土宗・浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来様は、「わからない奴」なのである。
キリスト教など、一神教の宗教において、「神」は、絶対的な存在であり、全てを知り、全ての能力を有するとされていることを考えると、まったくの真逆。「わからない」ことに、お手々のシワとシワを合わせる仏教って、やっぱり素敵である。いくつものモノサシで測っても、世の中や、人間って、わかることはない。わからないことが、真理なのである。
経済合理をモノサシにした、勝ち組、負け組。一方的な正義をモノサシにした、善と悪。何でもかんでも、ひとつのメジャーで測ろうとするから、世の中は歪む。マスメディアは、わかりやすくするほど視聴率がとれる。国民単純化の装置である。正義や善意を爆走させて、みんなを全知全能な気分にさせる。わかりやすい方にばかり進む日本に、今こそ必要なのは「測れないチカラ」である。測り知れない大人力である。
全知全能だと自称する社長が居座っている会社の器は、たかが知れている。ひとことで言うとどうなのよーと迫る上司の懐は狭い。わかりやすい企画書で行きましょうというプレゼンに限って、提示できる戦略の奥行きがない。わかりやすいステータスに、魅力はない。
運命に逆らい、状況に挑み、闘い続けた人だけに帯びている測り知れない高貴さこそ、ステータスである。多様な他者の力を信じ、許容することのできる測り知れない器量があってこそである。
アタマの良い人達が望むように、人間や社会が、単純にわかりやすいものだったら、この世の中は、こんなにも発展はしなかった。「わからないこと」を抱えるから、人も、時代も、前へ進む。全部、わかったら、全部、止まる。
植木等さん亡き現在。私は、「わかっちゃいるけど、やめられないのよねー、南ー無ー」と言えるスーダラな大人でいたいと思う。