文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
初詣は、何と向かうのか!?
日本全国81,000社の神社の御神体の多くは、『かがみ』である。八百万の神々がいる日本では、”かがみ”に写るものすべてが神。”かがみ”に写る自分の中に神はいるというわけである。
“かがみ”の『我』をとれば、神になる。我を通さず、他者や社会を写せるものになれば、自分もまた神に近づけるってわけである。
伊勢神宮に、御神籤は、置かれていない。神様に、未来を決めてもらったり、都合のいいことを願ったりすることは、そもそも間違いである。手を合わせて、かがみに写る我を見つめる。そして、失くす。参拝とは、そういう意図のものであると考える次第。
ワタシは、唯一、毎日続けていることがある。
洗面所で歯を磨くことと
通勤時にある神社の鳥居の前で頭を下げること。
ワタシの朝は、『我』を見ることか始まっているのだなぁ・・・。
これだけは、続くから不思議だ。
これが「かみ」の力だな・・・。
2021年もそろそろ終わる。
お正月には、初詣だ。
手を合わせて”我”と向き合う。
不思議とこれも60年、続いている。