週イチ「たまりば」No.64 昔なんか凄くない!!!
2022.05.19
週イチたまりば

文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

 

昔なんか凄くない!!!

 

どんな立派な肩書きのクリエーター達を使っても、売れる広告は、作れない。テレビや広告業界に蔓延している病があるような気がしてならない。それは、出てるヒト、作ってるヒトが、結局、あまり変わらない風土病だ。そこには、「昔は、凄かった」ウィルスが猛威を奮っている。

1970年代1980年代の流行歌をまとめたCDが売れている。広告からは、その頃の時代の歌がリバイバルで活用される。その商品企画をやっているのも、買っているのも、その世代。広告代理店の会議に参加すると、その時代に頑張った人達(私も当人である)が、未だに幅を利かせている。口を出す。そのくせ、若い奴が出てこないと嘆いていたりもする。

そんな人達は、口に出さずともみんなこう思っている。
「昔は、凄かった」「俺は、凄かった」と・・・。

だからテレビから流れて出てくる全部が・・・「昔は、凄かった」と連呼しているように見えてくる。聞こえてくる。それが、テレビ凋落の根本的原因ではないかと思うわけだ。

・・・で、村田兆治さんだ。その珠玉の言葉に、テレビや広告業界は、学ぶべきことがある。村田さんといえば、ロッテ時代に豪快なマサカリ投法で一斉を風靡した名球会メンバー。昔の野球小僧なら、みんなが憧れた存在だ。1990年に引退後は、プロ野球解説をしながら、30年にわたり離島の子供達に野球を手弁当で教えてまわるという活動をされている。

なぜ、未だに110キロ以上の球を投げることにこだわるのか?
その答えが、秀逸である。痺れる。
「『俺は、昔はこうだった』と言ったところで、聞いた人は『あんた、今やってみせろ』って思うでしょう。やってみせることで、それが事実だとわかる。だから、やれないのは、評論家なんだ。そんな人の言うことを、本気で聞くわけがない」

「『こうしてごらん』と教えるとき、話しだけ聞かせてお茶を濁すのも一つの方法だけど、実際に、見せなきゃ子供だって聞くわけがない。私は『昔は凄かった』じゃなくて『今が凄い』って言われたいんです」
「元プロ野球選手・村田兆治さん」のインタビュー記事(WEDGE11月号)より。

昔の自慢話で、自分を大きく見せようとはしない。
自分の現役時代を知らない子供達に、凄い野球を伝えるためには、
「自分が、いま凄くなくてはいけない」から、「いまを磨き続ける」。

視聴者のこころに火をつけるのは、
「いまが凄い」ヒトである。
「いまに磨きをかけている」ヒトである。

権力や暴力の前に、ヒトは頭を下げるが、決して本意ではない。ヒトが、こころの底から、自然と頭を垂れるのは、「根気の前」である。毎日、毎日、ひとつ、ひとつ・・・「いまを磨き続けている姿」にである。ヒトを育てる姿とは、そういう時代に真摯な姿にある。

テレビや広告業界に、次世代を担う若い人材が出てこないのは、テレビや広告のいまを握っている人達の多くが、「いまに磨きをかけ続けていない」からである。「いまが凄い」ということに、こだわっていないからである。「昔は凄かった」というお伽の国になったからである。

村田兆治さんは、第1回全国離島交流中学生野球大会を開催して、こうも語っている。
「スタッフにも、手抜きは絶対にさせません。子供に失礼ですから。でも、お金じゃなくて、そう思って働いてくれるメンバーでできることが誇りです」
子供達に失礼がないように、スタッフ全員、いまを磨き続ける・・・。

耳の痛い話しである。「典型的な視聴者は、高卒の50歳の専業主婦」という教えが、テレビや広告業界には、広く流通している。視聴者に失礼のない番組を、果たして作れるのか・・・。「昔は凄かった」ウィルス=特権意識の根絶は、容易ではない。自分の身の中に潜む「昔は、凄かった」ウィルスの根絶を、こうやって、書いて、心して、コツコツと進めたいと思う。

残念ながら、昔なんて凄くないのである。

 

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