
ひぐちグループで働くヒグチ人をプロライターが深堀りする新企画!
プロが綴る、働く仲間の新たな一面とは?
それぞれの「想い」を知り、繋がりを感じるコラム集。
PEOPLE 29 エイトビートさん
『人生がまんま世界ミドル級。』

ちょっと遅れて社会に出た男である。大学は熊本。単位だけは、ちゃんと取った。だが、就職活動になると、急に止まった。やりたいことがわからない。面接では、生年月日を言ったあと、言葉が続かない。「何を話したらいいかわからない」。周囲は次々に就職していく。自分だけ取り残されていく感覚。結局、卒業してから2年間、就職できなかった。
日雇いに行く。魚屋を手伝う。でも、自信は戻らない。そんなエイトビートさんを拾ったのが、長崎市の就職支援事業と、ひぐちグループだった。「もう選んでる場合じゃなかった」と本人は笑う。だが、これは“救われた”側の人間にしか出ない笑い方である。
エイトビートさんは途中で一度、野球も辞めている。県内屈指の強豪校。野球をするために入学した。ポジションはサードとセカンド。だが、部の空気に耐えられなかった。ズルい人間が評価される。後輩が雑に扱われる。その理不尽に、うまく折り合いをつけられなかった。そして、辞めた。
この“途中で降りた記憶”が、ずっと残っていた。
社会人になってからも、何度も夢に出てきたという。
ここまでは、ちょっと不器用な男の話である。だが、この男、急に変な方向へ進化する。藍染めである。風呂場で、Tシャツを染める。しかも、ちゃんと藍を育てている。葉っぱを収穫し、発酵させ、藍建てして染料を作る——そこまでやりたい。だが勤務が不規則で、まだ完成していない。それでも、毎年、藍を育てる。なぜそこまで“青”に惹かれるのか。
理由は、元WBA世界ミドル級スーパー王者”村田諒太選手”だった。2016年、お兄さんが癌になる。闘病生活は約3年。その時、SNSを通じて、ボクシング世界ミドル級王者・村田諒太選手と繋がる。応援に行く。すると村田選手は、長崎まで会いに来てくれた。実際に履いていたトランクスのレプリカまで持って。
兄と一緒に、世界戦を見に行った。家族旅行なんて、ほとんどしたことがなかった家族が、“応援旅行”をした。そして気づけば、エイトビートさんの人生は“青”で染まっていく。
村田諒太の青。
藍染めの青。
闘病を支えた記憶に遺る青。
藍染めは、完成するまで色がわからないという。
濡れている時と、乾いた時で、まるで違う。
人生も、ちょっと似ている。
世界ミドル級のチャンピオンと繋がりながら、風呂場で藍染めをしている店長。
なんだ、この人生!?
人生まんま世界ミドル級クラスである。
どんな藍色になることやら!?
文/中村修治
有限会社ペーパーカンパニー 代表取締役社長。
1962年近江の地で生まれる。1986年に立命館大学を卒業。1989年にバブルの泡に乗って来福。1994年に㈲ペーパーカンパニーを設立し独立。福岡に企画会社など存在もしなかった頃から30年以上も最前線で生きているプランナー。「JR博多シティ」のネーミングや「テレQ」のCIなどが代表的なお仕事。コラムニストとしても多誌で執筆。福岡大学の非常勤講師も務める。
ひぐちグループとの関係は創業65周年の時から。以降、ひぐちグループの新CIの開発の総合ディレクションを契機に、週イチたまりばの投稿は、200本に及んでいる。

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