週イチ「たまりば」No.80 ワタシは、ハルキストだった!?
2022.10.01
週イチたまりば

文/中村修治

企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。

 

ワタシは、ハルキストだった!?

哲学研究者である内田樹氏は「人間を人間たらしめている根本的な行為って、掃除とか炊事とか礼儀作法といった些事の中にあるでしょ。村上春樹作品の最大の特徴は、そういうディセンシー(礼儀正しさ)に対する気づかいだと思う」と、ある対談で述べている。

ワタシが、ハルキストであることを辞めたのは、どうやらこのあたりにある。社会人なって3年目の26歳の秋に結婚することを決めた。起業独立した翌年の1995年には、ひとりの娘の父親ともなった。ちょうど『ねじまき鳥クロニクル』が発売されたあたりである。あの頃から「村上春樹」に、ピクリともしなくなった。

ソファで寝ては、カミさんに怒られる。締め切りに間に合わなくて、夜な夜な詫びのメールを入れてみる。会議の進行が面倒臭くて下ネタで誤魔化す。幼稚園で父親らしい挨拶をしてみたら、娘から恥ずかしいと叱責される。掃除も、炊事も、礼儀作法もなっていない父親となって、村上春樹作品は、ドンドンと現実の暮らしからは、遠いものとなっていった。

決して、作品自体が嫌いになったのではない。
ワタシが、邪悪なものに変わってしまっただけのことである。
短いスパンでしかいまを捉えられない父親になっただけのことである。

―用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった― 2015年発表の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の冒頭には、こんな一文がある。

「ワタシは、クソぼっちである」と一言で片付けられるようなことを、こんなに丁寧に描けることこそ、作家・村上春樹の凄いところである。

礼儀正しく、丁寧に生きて行けば、社会に未来はある。

壊れるのは容易い。
壊れないことを死守している。
作家・村上春樹には、邪道なワタシは、歯が立たないのですよ。
当たり前なのだけれど・・・
人類の叡智を信用する度量と覚悟が違うのである。

完璧な文章などと言ったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。

「風の歌を聴け」からほぼ40年以上、
完璧な文章も書けないし、おかげで完璧な絶望もしていない。

 

 

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