文/中村修治
企画会社ペーパーカンパニーの代表取締役社長。PR会社キナックスホールディングスの取締役会長。福岡大学非常勤講師。滋賀県出身。Good不動産やJR博多シティのネーミングなども手掛けた戦略プランナー。西日本新聞「qBiz」やitMedia「BLOGOS」のコラムニスト。フェイスブックのフォロワー数は、9000人越え。
花びらは散っても花は散らない!?
花びらは散っても花は散らない。
形は滅びても人は死なぬ。
これは、昭和24年に発行された『意訳歎異抄』の中の言葉です。親鸞は、法然は、弟子に伝えるときに、本当にこのような言葉を使ったのだろうか?弟子たちによって美化されたものなのか?真実を伝えようとすると、言葉もまた純化されるということなのか?
もし?この言葉を、人に良く見られようと思って使っているとしたなら、どんな聖人も、自我にとらわれていたということです。ワタシは、ここ数ヶ月、そんなことばかりを考えいました。ひとことの裏にある数万の言葉を封印するその過程には、認められたいという欲があることを否定はできないのです。
ワタシは、人間は、すべてゲスだと思うわけです。
人間に「純潔」なんてないですよ。他者に認められたいから、こんなことをしている。他者に良く見られたいから、言葉を選んでいる。どこまで行っても空っぽなのに、なんとかしてカッコをつけようとしているのです。
今年も、ワタシは、どれだけ「不純」であるかをカミングアウトして行く所存です。過去の悪行の数々をお披露目して、てめぇの「純潔」など、社会の役にひとつも立たないことを、みなさんに流布していきたいと考えています。
白いオーラなんてないですよ、
みんなに等しく、オーラは、グレーです。